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「存在が励みになる」—能登半島地震と向き合う料理人の歩み


2024年1月1日、能登半島を襲った未曾有の震災。 

多くの人が悲しみに暮れる中、料理人である新納平太氏は、そのニュースに胸を痛めつつ、日本各地で発生する災害での支援活動を行う「オープンジャパン」の能登半島地震緊急災害支援に関わってきました。



その年の暮れ、オープンジャパンの活動報告会が開催され、そこで一人の少年が伝えてくれたことが深く印象に残ったと言います。


『5月ごろ、仮設住宅への応募に当選し、避難所からようやく仮設住宅へ移りました。しかし9月末には豪雨災害でその仮設住宅が水浸しとなり、再び避難所での生活を余儀なくされました。そして11月ごろ、仮設住宅が再開したタイミングで再び抽選に当たり、ようやく戻ることができました。本当に皆さんの温かい支援のおかげで、何とか生きることができています。』


「彼の言葉は、壮絶な経験をした重みと、支援への深い感謝に満ちていました。」


報告会では、さらに多くの被災者の生の声が語られました。 「被災者の中には、度重なる災害により、『こんな思いをするくらいなら、震災の時に死んでしまえばよかった』という辛い気持ちを吐露される方もいて、その言葉は、想像を絶する苦しみと、繰り返される困難に打ちのめされた心の叫びのように私には聞こえました。


仮設住宅での生活も、束の間の安息でしかなかった。再び避難所での生活を余儀なくされた時の絶望感、その耐え難い思いを想像すると、ただただ胸が痛みました。」



オープンジャパンでは被災された方々との茶話会を定期的に企画しています。支援活動では『サロン』と呼ばれ、仮説住宅の集会所や、地域の公民館など様々な場所で実施されています。


その中で「オープンジャパンさんがいてくれるだけで、存在があるというだけで、私たちには励みになります。生きる希望になります。」といった感謝の言葉をいただいたと言います。


「普段、私たちは何かを成し遂げること、役に立つことばかりを追い求めがちですが、ただそこにいることで、誰かの支えになることの尊さを改めて教えられた気がします。」


新納氏は、この言葉を聞き、「飽食の時代と言われる一方で、私たちは本当に大切な『生きる』という本質を見失っているのかもしれません。被災した方々との交流を通じて、改めてそんなことを考えさせられました。」


新納氏は、食を通じた日本国内の様々な地域との関わりを持つ中で、工芸、食、アート、政治など多岐にわたる分野で活躍されている方々との出会いを重ねたといいます。


「その中で、私は改めて自分に何ができるのかを自問自答しました。ことに食に関して専門的な背景を持ってきたわけではありません。それでも、最近、私の料理について『優しい』とか『愛情深い』という感想をいただくことが多くなりました。それはきっと、私が料理を通して、食材そのものの美味しさだけでなく、その産地の風景や、作り手の皆さんの想いを表現したいと強く願っているからかなと思います。」



新納氏は、「こうした抽象的な思いを、どのように『業』として形にしていくのか、これからも考え続けていきたいですね。」と語ります。「料理には、人と人とを繋ぎ、心を豊かにする力があると信じています。その可能性を、作り手や他の料理人たちとチームとして一皿一皿に思いを込めながら、形にしていくことを続けていきます。」と力強く語ってくれました。


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